- 黒田 かをり/ Kaori Kuroda(日本)
- (一財)CSOネットワーク 事務局長・理事 モデレーター
- 一般財団法人CSOネットワーク事務局長・理事。アジア財団ジャパン・ディレクター。民間企業に勤務後、コロンビア大学経営大学院日本経済経営研究所、アジア財団日本の勤務を経て、2004年より現職。日本のNGO代表としてISO26000(社会的責任)の策定に参加。現在、2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会「持続可能性に配慮した調達コード」WG委員、SDGs推進円卓会議構成員、SDGs市民社会ネットワーク代表理事、国際開発学会理事、日本サッカー協会社会貢献委員などを務める。米国公認会計士協会会員。
- 長田 こずえ/ Kozue Nagata(日本)
- 名古屋学院大学 国際文化学部教授 元ユネスコパキスタン所長 ゲストスピーカー/コメンテーター
- 現在は名古屋学院大学国際部科学部で国際協力に携わろうとする若者を指導。国連勤務30年のベテラン。国連時代はILO本部で障害者のリハビリテーション課勤務から始め、国連西アジア経済社会理事会では「アラブの障害者の10年」などに取り組む。東チモール国連暫定政府に参加。国連ESCAP時代にはアジア太平洋の障害者の10年の実施に取り組み、また権利条約のベースとなったバンコクドラフトの書き上げなどに貢献。国連NY本部時代は開発協力政策課において開発問題に取り組む。また、国連活動に障害をメインストリームすることに取り組む。障害に関する研究でJICAやJETROともかかわる。ユネスコ所長時代はパキスタンにおけるジェンダー、教育、障害者の人権支援などを担当する。多くの関係者とのネットワークを通じて、マイルストーン障害者協会のシャフィック氏とも協力する機会に恵まれた。パキスタン政府教育訓練省から貢献を表彰される。
- シャフィック・ウル・ラフマン/ Shafiq-ur-Rehman(パキスタン/肢体障害)
- マイルストーン障害者協会代表 ゲストスピーカー
- ポリオで障害者になったが、その後も両親は非常に教育熱心であり、教育の恩恵を受けることができた。初期の教育を受け、同じように障害のある友人に出会ったことをきっかけに、10代でパキスタンで初めての障害当事者団体であるマイルストーンを立ち上げた。精力的に活動したが同時に差別にも直面。大学在学中には、障害者に対する人々の言動について深く考える機会を得た。2001年〜2002年、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業に参加する機会を得たが、これが人生の転換点となった。障害者のために声を上げた偉大な指導者たちから学ぶことができて大変幸運だった。2003年に車いすクリケットを世界に紹介。自立生活の概念を南アジアに、そして初めてイスラム世界に紹介。2005年のパキスタン大地震直後には、移動式自立生活センターの概念を導入した。現在、マイルストーンはパキスタンで尊敬される団体の1つであり、運動の中心となっている。
- 廉田 俊二/ Shunji Kadota(日本/肢体障害)
- (特非)メインストリーム協会代表 ゲストスピーカー
- 中学2年の時、学校の体育館の屋根から落ちて脊髄損傷となり、車いすの生活になる。大学時代から放浪を始め、訪れた国は48ヶ国。その中でカリフォルニア州バークレーの自立生活センターに出会う。1989年、障害者の自立と社会参加を目指して、「西宮をバークレーに」というフレーズを掲げて、兵庫県西宮市に自立生活センター「メインストリーム協会」を設立。2003年から、諸々の相談やリクエストに応える中で、アジアの国々に自立生活運動を伝え、自立生活センターを作る手伝いをすることになる。2008年からは、JICAと協力してコスタリカを手始めとして中南米諸国でも同様の活動を始め、ボリビアに自立生活センターを作る手伝いも行う。現在、関西学院大学と神戸女学院大学で非常勤講師。1961年兵庫県姫路市生まれ。
- 黒田
- 本セッションでは、パキスタンと日本の障害者団体が連携した、まさに奇跡のような取り組みについて焦点を当てたいと存じます。このケースを題材にして、インクルーシブな社会を実現する上で、私たちが成すべき事を探る機会をいただけたことを大変嬉しく思います。そのために3人のゲストをお招きしました。パキスタンからシャフィック氏、日本から廉田氏にお越し頂き、おふたりの連携についてそれぞれのお立場でお話いただきます。それに先立ってまず、現名古屋学院大学教授で元ユネスコパキスタン支部代表であった長田先生からパキスタンにおいて障害者が直面している問題や一般的状況についてお話しいただきます。
- 長田
- シャフィックさん、日本にようこそ、お会いしてからもう5年経っていますね。会場の皆様とはまずパキスタンに関する一般的な状況についてシェアしたいと存じます。(スライド1の)右上の方にあるのがパキスタンの青い旗ということで、イスラム教の新月がついています。左下は障害者のマークでパキスタンや中東で良く使われています。
- パキスタンがイスラム教の国ということをご確認ください。パキスタンは多民族国家でシンド人、バローチ人をはじめ色んな国にまたがる様々な民族が暮らす国です。言語的には、国の言葉として、ウルドゥー語という言葉を使っています。国の言葉(国家語)でありながら、ウルドゥー語を母国語とする人は(人口の)8%程度だそうです。一番多いのは、パンジャブ人です。シャフィックさんはパンジャブ人で母国語はパンジャブ語だそうです。10人に1人ぐらいの母国語が国家語という変わった国。国というよりは複合的な共同体ということです。
- 10歳以上の識字率は、2015年の統計では58%であり、約6割程度の方が字を書いたり、読めたりします。特に高齢の方に多いのですが4割の方は字が読めない。ちなみにシャフィックさんがいらしたパンジャブは一番発展していますので、この統計よりも高い識字率だと思います。政治的には国会があり、議会があり、日本と同じ民主主義制度で単独政権のアラブの国とは異なります。
- パキスタンで障害の原因に貧困があります。栄養失調、特にビタミン不足、障害になると医療へのアクセス不足の問題があります。特にパキスタンではポリオ、小児まひワクチンのための予防注射が行き届いていません。パキスタンは、世界最大の小児まひ発生国です。イスラム教の過激派が、ポリオの予防注射を嫌っています。交通事故や近親結婚が多いことによる遺伝性の障害もあります。
女性への差別とか暴力、男性への暴力もあります。障害者になってしまったら家族が貧困になります。学校に行けない、就職できない、結婚、社会生活ができない。バリアフリーが行き届かず、障害者への社会的差別、とくに障害女性にはひどい複合的な差別があります。法制度がまだ不備で実効力も乏しい。
(スライド4の)このデータは古い国勢調査(1998年)ですが、全人口の2.49%が障害者です。新しい国政調査では人数が減っています。実際の障害者の数が統計に反映されていません。女性障害者の数が圧倒的に少なくカウントされている傾向です。国内的にはおそらく531を超える特別支援教育学校が存在します。また200以上の障害者団体が障害児の教育を支援しています。
第18次の憲法改正により、各州の自治が強化され、国家レベルの「社会福祉・特殊教育省」は廃止され、障害者の教育や福祉は各州の権限に移されました。これによって州や民族間の格差が出て来ます。農村と都市部でも圧倒的な格差があります。
- 障害者支援の法律は、有名なところでは2006年に策定された障害者に関する国家政策や2009年につくられた公共の交通、バリアフリー交通に関するものがあります。私がパキスタンを離れた後のことなので詳細はわかりかねますが、現在、差別禁止法に向けて努力が成されています。障害者権利条約(CRPD)は私がユネスコパキスタン事務所長をしていた2011年に調印しています。
- ネットワークインパクトについて若干述べさせていただくと、ダスキンによる障害者の国際的ネットワーク、アジアのESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)、APCD(アジア太平洋障害者センター)などを通じたものも重要です。またシャフィックさんのようなキャパシティの高い方は、ネットワークを駆使してお金をばっちり獲って来る。世界銀行からばっちり獲りました。権利条約の国際会議等では他の国とのネットワークが大事です。ネットワークをつくって、ソーシャルキャピタルを形成する。パキスタンにもCBR(地域に根ざしたリハビリテーション)、CBID(地域に根ざしたインクルーシブ開発)などのネットワークがカラチのそばのシンド州の方などでやっておられます。
- 黒田
- パキスタンの障害者の問題やその他の問題の概要についてお話をいただきました。ネットワークに関するお話もありましたが、このあと2001年より、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業に参加され、現在マイルストーン障害者協会の代表でおられるシャフィックさんよりお話を伺います。パキスタンでは大地震も起きましたが、そういったことを乗り越えて、自立生活センターを作られ、パキスタンの障害者運動で重要なお役目を果たされている方です。
- シャフィック
- 障害だけについてフォーカスするのではなく、一般社会についてもシェアしたいと思います。(スライド2の通り)我々の人生のはじまりです。みなさんはここで始まります。生まれた時、食べられず、歩けません。世界を変えることはできません。全員がこういう始まり方をします。ネットワークというのは、男性、女性というように異なったものとして始まります。その後、私たちが日常的に目にする通り、さらに食料のネットワーク、道路のネットワーク、携帯電話によるネットワークなどと多様化します。ネットワークは、どのようなライフサイクルにおいても重要です。私にとって良いネットワークとは、連携を必要とするものです。連携というのは常に異なった形、力、対象を持っています。様々なパートが結びついて連携が生まれます。それが良い連携があれば、ネットワークもスムーズに動いていきます。
- インクルーシブな社会とは、様々な色の人生が連携をして行き、そして円滑な社会につなげていくことです。私たちが持続可能かつインクルーシブな社会を作る時には、例えば1つの形として、社会起業家が必要とされます。自立生活運動などが新たな起業を生み出すことを可能とし、様々なビジネス機会やサービスを生み出していきます。自立生活運動の持続可能性を支える力にもなっています。私たちの団体はパーソナルアシスタントサービス、ピアカウンセリング、補助機器など、数々のサービスを社会起業の事業分野として取り組めると考えています。
私たちは幸運だったと思います。ダスキンのリーダーシッププログラムに参加するという機会を得て、様々な人たちとの協力関係を確立することができました。ヒューマンケア協会を訪問できたおかげで、私の先生となる中西正司代表に出会うことができました。そこではDPI(障害者インターナショナル)や、アジア太平洋自立生活ネットワークなどの国際的な障害者運動について多く学ぶことができました。またメインストリーム協会の代表であり、私のメンターでもある廉田俊二氏との出会いもありました。さらに私たちがパキスタンで初めてのセミナーを開催した時、自分の仕事に専念している人に会いました。パキスタンの空港で車いすを直していた、さいとう工房の斎藤さんです。彼のサポートがあったおかげでパキスタンで車いすを作ることが可能となりました。今では電動車いすの製造も計画しています。
JICA(国際協力機構)やJIL(全国自立生活センター協議会)の方々の支えもありました。JILには500台の電動車いすを提供していただきました。私の町ラホールではすでに、障害が特に重い500人以上の人たちが電動車いすを使っています。ラホールには、スロープ付きのバリアフリーのバスも走っています。これはJICAのプロジェクトの成果によるものです。この他にも様々なプロジェクトが現在進行中です。これらはすべてネットワーク、そして連携から始まって来ており、その先には私たちが今後実現すべきインクルーシブ社会につながって行くでしょう。私たちがネットワークのおかげでこれまでに達成できたものは、主に知識、情報の交換によるものです。私たちには日本から人的資源、財政支援、技術資源、科学技術など多くの資源が寄せられています。
これらの連携によってパキスタンと日本の障害者運動は強力に結びついています。私の組織であるマイルストーンだけでなく、他の様々な組織が日本の運動に影響を受けています。パキスタンではCBR、IL(自立生活)など様々な方向に向けて活動しています。でも道筋が違うだけで最終的な目的地は同じ障害者の自立生活です。競争する必要はありません。
長田さんも先ほど触れた通り、パキスタンにもCBIDのネットワークがあります。このネットワークは新しい哲学や理念の共有よりも、リソースや蓄え、あるいは技術さえもシェアしていくという考えです。これによって、パキスタンの障害者運動に大きな協調、ハーモニーが生まれました。パキスタンの障害者運動は障害者法制定に向かって非常に円滑に進行しています。今年、できればこの法律が成立することを願います。みなさん、短いビデオを見ていただきたいと思います。このビデオはマイルストーンの活動についてご紹介するものです。(ビデオ放映)
- このビデオで紹介したものは、すべてネットワークで、日本並びにマイルストーンやパキスタンの障害者運動がつながってできたものです。教育レベルはまだ低く、病院施設もまだ少ないです。それでも国が発展するためには人的資本が重要です。私たちは若い人たちの力を活かすことができます。我々はこういう機会を活かします。必要なものは教育、トレーニング、リソース、そして夢です。これらはすでに日本の障害者運動から得ることができています。ありがとうございました。
- 黒田
- ネットワークの話をして下さいましたが、共通の目的があることがすごく重要だと改めて思いました。障害者の自立生活ということだったと思います。こうしたお話、マイルストーンの様々な活動を見せていただきましたが、その原点ともなったと言えるのがダスキンの研修ですね。この後、2001年から2002年の間、シャフィックさんを受け入れ、研修後も支援を続けている、メインストリーム協会代表の廉田さんに話を伺います。支援という言い方は、あまりされないということですが、アジアの仲間と共に活動をやって来られているとのことです。
- 廉田
- 西宮市でメインストリーム協会という自立生活センターをしています。2003年にアジアに自立生活センターをつくる手伝いをすることになりましたが、そのきっかけがパキスタンでした。まず2001年12月頃にリハ協(日本障害者リハビリテーション協会)さんから研修生を誰か受け入れて欲しいと依頼されました。メインストリーム協会では、1~2週間の単発的なものはお断りしています。理由は、先生と生徒みたいに、大事なことだけを伝えるのなら本でも読んでもらえば良い、人間関係を作るのが大事。最初は一緒に遊びまわって仲よくなり、1か月後から話をしていくというのが、うちのやり方です。そしてパキスタンから来たシャフィックさんを受け入れたのですが、彼がまじめ過ぎたせいなのか、「この自立生活センターの部屋には幽霊が出る」と言って、1ヶ月足らずで帰ってしまいました。残念に思っていましたが、その後の5月頃にもう1回話をしようとなりました。その時、彼は自立生活センターに興味を持っていました。多分、他のセンターが上手に関心を持たせたのだと思います。うちではないですよ。とにかく自立生活センターをやりたいので、一旦パキスタンに来て欲しいということでしたが、その時はあいまいな約束のまま終わりました。
その後、DPI世界会議が札幌であり、そこでシャフィックさんと再会し、4~5日間、ホテルの同じ部屋で朝までずっと話をしました。そこで自立生活センターをやりたいのかと聞いたら、その時はまだ悩んでいて、大学の先生もやりたいと言っていました。「片手間で出来る仕事ではない。大学の先生なんかやめておけ」と言いましたが、彼にも生活の糧が必要ということでした。それで「彼が必要とする生活費は出す」と言いました。始まりはそんなレベルでした。それが(2002年の)10月くらいであり、2003年の2月にパキスタンでセミナーをやることになりました。必要資金60万円の半分の30万円を私たちがサポートするかたちで開催することになりました。3回の大きな出会いによって、パキスタンに行くことになりました。パキスタンの人たちの話は割り引く必要がありますが、「障害者でもスポーツなどで多くの人が集まることはあるが、人権やワークショップというテーマでこれだけ集まるセミナーはパキスタンの歴史が始まって以来のことだ」とまで言いました。自分も自立支援とか、自己決定という概念を海外に伝道師として伝える活動は、おもしろいと思いました。それが始まりで、事務所を借りて活動をすることになりました。
- 黒田
- 引き続き質問という形で廉田さんにお聞きします。ダスキン研修事業は社会的インパクトをもたらすと感じます。その点についてのお話と、研修後の関係の継続についても、お話しください。フォローとか、支援という言い方はあまりされずに、お友達のようになっていくとおっしゃっておられました。
- 廉田
- ダスキン(愛の輪基金)は良い事業をされていると思います。私たちもおもしろく関わっています。フォローアップは弱いところと思いますが、研修の後に自立生活センターを作ることになったら、自分たちの出番かなと思っています。メインストリーム協会にはダスキン(愛の輪基金)の研修生が毎年来ていて、韓国、ネパール、カンボジア、モンゴルと色んな国の人が来ています。昨日ここで話をしたサミスさんやリンさんもそうです。メインストリーム協会を通して色んな国と連携できています。
- しかし、いつまでも自分たちが先生でいられるわけではなくて、すぐに追い越されます。アジアのメンバーの方が頭が良くて、こちらが学ぶことも多いです。2007年に韓国のソウルで開催されたDPI世界会議にダスキン研修を受けた仲間たちが招待されました。そこで「ダスキンから生まれたアジアの自立生活センターのネットワークを作らないか」という話になりました。メインストリーム協会から生まれたと言いたいところですが、元々シャフィックさんが言い出して、今は「志(こころざし)ネットワーク」という名前で活動しています。例えばカンボジアに行って、セミナーや「トライ」と銘打った自立をアピールするイベントを開催しています。各国で活動するようになって、ネットワークが出来上がって行きました。ネットワークというと大げさな感じですが、よく考えたら、友達の輪というか、仲がいいから応援する、それだけの集まりです。大家族のような感じの気軽なネットワークです。
- 黒田
- 確かに、奇跡のような素晴らしい事例と言えますが、これはメインストリーム、マイルストーンだからできたのか、あるいは、こういうネットワークは他でもできることか、すでにあるのか、課題も当然あると思います。長田さんに、一般論にひきつけてコメントをいただきたいと思います。
- 長田
- 誰でもできるかというと半々だと思います。ネットワークを構築する上で何が必要か。おふたりはおもしろく話されましたが、その裏にあるものが何かを得るために一生懸命話を聞きました。やはり、まずは人、そして金と技術。人というのは確かに廉田さん、シャフィックさんのように個人のリーダーシップが必要です。それがないと先が続かない。意外に忘れられますが、2番目にお金。ネットワークというとタダのように感じますが、ネットワークには資金が必要です。お金を調達するメカニズムなしにこれを継続することは難しいです。3番目は、先程言った電動車いすなど技術ですね。日本は、技術的な情報提供をする必要があります。この人、金、技術がバックにあれば、ある程度ネットワークは成功すると思います。しかしパキスタンは大きな国で、日本の人口の2倍です。多民族が住んでおり、国を超えたような存在です。パキスタンの障害者リーダーで印象的な人は、こちらのシャフィックさん含め何人かはおられますが、やはりリーダーシップを備えた人間がまだ少ないと感じます。リーダーシップがまず必要であり、(それなしには)ネットワークは成功しません。シャフィックさんはネットワークを使ってお金を引っ張るのが得意な方ですが、ネットワークはお金がかかります。日本で会議をやって、はい終わり。お金がついたりつかなかったり。次にいつ会えるかわからないということでは困ります。後のセッションで、資金的なサポートが出来そうな人の話が出ると思います。
- 黒田
- 人、お金、技術、本当に必要だと思います。こうしたことをしっかりやっていかねば継続は難しいと改めて思いました。会場にいらしている方も、聞きたいことがあると思います。いかがですか?
- 会場質問者D
- シャフィックさんがワールドバンクから資金を獲得したことを聞きたかったのですが、どういう工夫をされたのかについて教えてください。あとシャフィックさんが手がけている、世界IL(自立生活)ネットワークの状況についても教えてもらえますか?
- シャフィック
- 2005年にパキスタンでは大地震がありました。そこで、たった47秒の間に8万人の人が亡くなり、1万5千人が障害者となりました。そのうち750人ぐらいが脊髄損傷になりました。パキスタンでは、十分な医療システムがないため、障害者、脊髄損傷の人が取り残されてしまい、亡くなりました。JILや他の関係者に依頼して器具を送ってもらい、脊髄損傷の助けとなる協力を得ました。私たちの活動は、すぐに国の気づくところとなりました。世界銀行パキスタン国別局長のジョン・ウォール(John Wall)が来てくれました。マイルストーンでは、新たに障害者となった方に向けて自立生活の理念などを導入して、自立生活を後押しすることができると思いました。
それで医者との共同により、脊髄損傷の人を受け入れて合宿所のようなものをやり、被災地のムザファラバード(Muzaffarabad)にある大学の学生も呼んで、自立生活という考え方を共有しました。そして、日本のヒューマンケア協会、政府関係者、厚労省の方々も私たちの合宿キャンプに参加してくれました。それでパキスタン政府も関心がかき立てられました。ジョン・ウォールが関心を示したことも理由です。こういった様々なネットワークが日本の社会開発基金を得る端緒となりました。当時私たちは、年間11億ルピアを使って150台の車いすと、聴覚障害の方用に600台の携帯電話を提供しました。そして、ろう者のグループの方の支援もしていきました。この基金、活動を通じて今、30以上の自立支援センター、300以上の障害者団体ができています。まず自助の組織ができることで能力開発に繋がり、やがて障害者団体ができ、最終的には自立生活センター設立の流れになると思います。税金を使ってコミュニティで活動していくやり方もありますが、私たちはチャリティーモデルをパキスタンで立ち上げました。
日本の障害者運動は本当に大きな意味をもちます。パキスタンは人口が多くリソースは乏しいです。でもいつか日本と同じように、たくさんのことを達成できると信じています。私たちの立場から日本を見ると、日本は今、アジアだけでなく、世界にとっても障害者運動のセンターであり、ベンチマークだと思います。人材や知識を他国に出しているところは世界を見渡してもほとんどありません。他国の障害者をエンパワーするのは日本だけです。他の国に出かけて行き、車いすを作っている国も日本以外にないでしょう。
- それでも残念なことが1つあります。日本の障害者運動というのは、もっと世界に力強く訴えて良いと思います。大きなツールを持ち、向かっていくことで、より財政的利点、社会的な利点が生まれると思います。世界の10%、10億人が障害者です。巨大な消費者市場です。それをなぜビジネス観点から見ないのでしょうか。つまり新しい社会的市場です。これを使って、新しい経済リソースを人類にもたらそうではないですか。日本のみなさん、自国の障害者運動をぜひ世界に示していってください。私たちもパキスタンで障害者運動のリーダーとして活動して行きます。最後になりますがダスキンからの助成に感謝申し上げます。
- 黒田
- シャフィックさん、ありがとうございました。後のおふたりも最後に、これだけはみなさんに伝えたいことをお願いします。
- 廉田
- 始まって間もないことながら、それでもアジアに自立生活センターができ始めて、そのほとんどが日本発信です。中南米でも自立生活センターができています。日本から始まったのですから、もっと興味を持って欲しいし、一度見に行って欲しいです。途上国の何もない中で、自立生活センターを立ち上げることは本当に大変なことです。そこで頑張っている姿を見たら、「自分も頑張らなければ」と受け取るものがたくさんです。自分たちが自立生活センターを立ち上げた時もそうでしたが、やればやるほどお金がかかる。彼らは「お金をくれ」とは一切言わないですが、あげることが失礼かというと、そうではないです。ぜひ訪問して私たちと同じ思いを持って欲しいです。
- 長田
- シャフィックさんがダスキンの研修事業に参加したわけですが、最初は海の物か山の物かわからなかったと思います。それが大変立派になられ、障害者活動分野ではなくてはならない人に育ちました。ダスキンが毎年出している研修生すべてというわけには行かないですが、10人やれば、その中から少なくとも1人あるいは2~3人が、帰国して大きな資源となってくれる。ダスキンさんのみならず、今日は民間の方も来られていると思いますが、みなさんにとって人を訓練することも投資なわけです。ぜひ今後も継続していただきたい。お金はものすごく必要です。お金が失礼なんてことはありません。30年国連で勤務して分かったのはそれです。人的資源をつくる資金、技術提供の資金。今日来られた方で提供できる方は、継続してサポートしてあげてほしいです。
- 司会
- それではセッション3を終了とさせて頂きます。
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