- 原田 紀久子/ Kikuko Harada(日本)
- (特非)アントレプレナーシップ開発センター理事長 モデレーター
- 主として若者を対象としたアントレプレナーシップ育成の教育事業を行っているが、福祉分野については、福祉施設で働く職員の研修、利用者の仕事づくりや賃金向上、就労支援等の事業に携わる。
- その他役職:公益財団法人京都地域創造基金理事、認定特定非営利活動法人環境市民理事、京都府地域創生有識者会議委員、京都府雇用創出・就業支援計画推進会議委員、京都府障害者雇用促進会議委員、京都府工賃向上計画検討委員等を務める。
- ナムチョック・ペットセン/ Namchok Petsaen(タイ/肢体障害)
- フォーオールエイブル代表 ゲストスピーカー
- ウェブ開発のフリーランサーとしての仕事に5年間取り組んで来た。フリーランサーとして仕事をしていた当時 、「フォーオールエイブル」というオンライン・プラットフォーム開発のため小規模チームを立ち上げた。その鍵となる設計コンセプトは「あらゆる人にとってアクセシブル、エンジョイアブル、インクルーシブであること」。フォーオールエイブルのプラットフォームは障害者(PWD)のためのユニークなオンライン・プラットフォームとして設計されており、アクセシブルなツーリズム、就業の機会、教育、スポーツ、芸術、ニュース、イベント、障害者のための市場(機器、商品、サービス)およびエンターテインメントに関する情報を提供している。このオンライン・プラットフォームは長期にわたるビジネス・モデルとして障害者のための適切で持続可能なオンライン・ビジネス・ソリューションに重点的に取り組んでいる。
- 尾中 幸恵/ Sachie Onaka(日本/聴覚障害)
- コーヒーハウスCODA 店主 ゲストスピーカー
- 手話カフェ&BARコーヒーハウスCODA経営12年目。調理師専門学校を卒業後、イタリアンレストランを希望するが、手話が通用せず、コミュニケーションの大きな問題に直面し、断念する。しかし、その夢を諦められず、25年後にようやく手話カフェをオープン。手話に親しむ環境づくりを心がけ、手話を通じて働きやすくなること、そして、ろう者でも健常者と同じように経営できることをアピールしている。人生は一度だけ。一度諦めかけた夢をかなえることができた私は、ひとりでも多くの人が夢を持って生き抜くことを願っている。1964年生まれ、滋賀県在住。
- 初瀬 勇輔 / Yusuke Hatsuse(日本/視覚障害)
- (株)ユニバーサルスタイル/(株)スタイル・エッジMEDICAL 代表取締役 ゲストスピーカー
- 1980年長崎県佐世保市生まれ。青雲学園中学校・高等学校を経て中央大学法学部法律学科に進学。弁護士を目指していた在学中、緑内障により中心視野を失い視覚障害となる。失意の底にあったが、高校時代に打ち込んだ柔道を再開することで、障害を受容するきっかけと出会う。2008年、柔道再開からの目標であった北京パラリンピック出場を果たす。大学卒業後、大手人材派遣会社の特例子会社に入社、さまざまな障害のある社員の指導・トレーニング・マネジメントに従事する。障害者雇用に広く貢献するため、2011年、株式会社ユニバーサルスタイルを設立。代表取締役就任。障害者雇用に、障害のある当事者としての切り口から、アプローチする。2018年、株式会社スタイル・エッジ MEDICAL代表取締役就任。障害者雇用促進で培った経験から企業の健康経営をサポートする。パラリンピアンとしてパラリンピックの魅力を伝える講演活動も精力的に行う。2012年ロンドンパラリンピックではNHKにて視覚障害者柔道選手として初めて解説を担当した。2013年東洋経済にて次世代リーダー50人に選ばれる。また、2018年よりNHKブレイクスルーにて「障害者雇用もっと両想いを増やそう!プロジェクト」のプロジェクトリーダーとして出演。
- 原田
- まず私のNPO法人についてですが、主にアントレプレナーシップに関わるテキスト教材やネットで学べる教材を作り、それらを使って指導者研修もしています。また、学校の授業で実際に活躍している起業家のお話を聞いてもらったり、地域資源を使って商品開発をしている学校については、オンラインの教育サイト(http://www.youthenterprise.jp/)で情報交換ができるようサポートをしています。
- 他にも、日本では商店街がかなりさびれて来ておりまして、そういう所で地域の子どもたちが、賑わいづくりのイベントを開催したり、お土産作りをして販売したりという活動もしています。大人向けには、実際に起業のための講座開催などをしています。また、福祉施設の就労支援事業において、いかに魅力的な商品をつくり、どうしたら工賃が上げられるかという助言や、講座開催・職員研修なども実施しています。そして、就労支援の事業所の利用者の障害者の方で、一般就労、企業就職できそうな方がいたら、企業に紹介する事業をしたりもしています。私どもは、障害の有無、起業するかどうかにかかわらず、あらゆる人が生きて行く上で、アントレプレナーシップ、新しいことに挑戦して達成する力が必要と考え、(これらの事業を)推進しています。
- 今日はゲストスピーカーで3人の方に来ていただいています。これらの方々が起業してがんばっている、その体験を通じて、実際に起業するメリット、成功の秘訣を学びながら、誰にもアントレプレナーシップが必要だということを理解していただき、自ら起業して経済的自立や社会参画を実現する可能性、そのために必要な応援には何があるかを考えるセッションにしたいと思っております。まず最初に、ゲストスピーカーとしてお話いただくナムチョックさんは、14歳の時に事故で歩けなくなった方ですが、ウェブ開発の仕事をしつつ、障害者向けにフォー・オール・エイブルという事業をタイで立ち上げられました。2014年にダスキンのリーダーシップ研修(15期)でも来日されています。
- ナムチョック
- 私がスピーカーに呼ばれて驚いています。ダスキンの研修に参加する前、事故で脊髄損傷を負った私はこの後どれくらい生きていられるか心配でした。しかし、研修に参加して、日本では脊髄損傷を負っても長期に渡って生きておられる方のことを知りました。その時、私は18歳でしたが、それが私の疑問の答えになり、まだ自信をもって生きていけると確信できました。それが今日まで私を支え続けてくれています。日本はアクセシビリティが高く、いろいろな所に行けます。井谷(いたに)さん(自立生活センター星空代表)のところで研修も受けましたが、皆さん、とても楽しんでいて、パーティーをたくさんすることも、とても気に入りました。タイではできないことでした。障害を持つ人が一緒になって、本当の意味でインクルーシブが実現できていると感じました。
タイに帰国してから一生仕事をする上で、どんなビジネスモデルを取り入れたいか、アクセシシブルでありたいのか、インクルーシブでありたいのかについて考え、フォー・オール・エイブルという(ネット上の)プラットフォームを考えました。そのためにタイで友達と旅行業務に携わり、ホテルや国内の交通手配から始めました。雇用機会、教育、スポーツ分野も手がけています。障害者が必要とする機材提供、オンラインサービスも提供します。このプラットフォームを通じて商品販売ができるので、興味をもってくれるような会社を招き、参加してもらっています。少しずつ前進しています。今は、アイデアを実際の商品にするための活動をしています。プラットフォームの本格稼動は実際には来年ですが、アクセシブル・ツーリズムについては、今年すでに実現できています。
- まず事業の主力は、やはり観光の分野で、プラットフォームの70%を占めています。現在、障害者が独力で旅行ができるように、データ収集と検索・情報共有システムの提供を行っています。障害者のためのアクセシブル・ツーリズムやアクセシブルな場所に関する情報提供もしています。
- 次の段階としては、オンラインマーケットへの進出を考えています。ここでは障害者が、例えばカンボジアにいる人とビジネスができるように支援しています。主にハンドメイド商品を売る予定ですが、日本からの車いす、パキスタンや他の国からの商品もこのプラットフォームで売ることができます。グローバルなEコマースの市場を作り、みんながビジネス参画できるようにやって行きます。これらは障害を持つ人だけでなく、企業にとっても素晴らしいチャンスになると思います。
- 次はスポーツとエンターテイメントです。私はアメリカで勉強したことがあり、アイスホッケーチームに入り、とても楽しかったです。競技大会にも参加しました。スポーツチームをつくり、チームのプロフィールをウェブサイトに掲載しました。いろいろな人がスポーツに関する知識を共有する場ができると嬉しいです。障害を持つ人たちも、どんなことが起きているかを知り、プラットフォームに参加できます。
- 次は雇用についてです。やはり、障害を持った人にとっては興味がある分野です。タイでも学校を卒業後、仕事を探すのがなかなか難しい状況です。障害者はどんな仕事があるかも分からない上に、どんな仕事を探すべきかも分かりません。それで、まず企業に対して障害者が仕事を探しているということを伝え、企業側からも求職情報を載せられるようにしています。障害者が自分で応募できるような仕組みにもなっていて、今後もっと多くの雇用機会を伝えられるようにと思っています。
- 次に教育分野です。オンラインの学習コースを提供します。例えば障害者の場合、勉強したいことがあって職業訓練校に行こうとすると、申し込みを断られることがあります。しかし、オンライン学習コースがあれば障害があってもどこでも学ぶことができ、実際の仕事や就職に必要な能力や専門性を獲得できます。障害者が専門知識を獲得してその分野で活躍することを支援しているわけです。
- 次に、いろいろな国の障害を持った人たちとビジネスをやることを目指しています。昨日のセッションでカンボジアやモンゴルの事例が紹介されていましたが、大変興味深い取り組みです。モンゴルのゲストスピーカーもアクセシブルな観光事業活動をやっているそうで、楽しみにしています。テクノロジーの活用を通じてアクセシブルなツーリズムの実現ができると思います。
- もちろん、困難な問題もありました。例えばタイでは、ITのビジネスがどのように機能しているかあまり理解されていないからです。事業の立ち上げ時など、最初は1人で戦う必要がありました。私の場合、幸いITビジネスを理解してくれるパートナーに恵まれ、とても良かったです。良いパートナーとして何でも相談できる関係ができており、うまく機能しています。
- 最後にメッセージを伝えます。今回私が日本に来られたことは幸運でした。同じ情熱、考えを持ついろいろな国の人と時間を共有することができたからです。私たちの間で情報交換することを楽しみにしています。情報を得たものをうまく活用し、日本での経験を私が持っているタイのプラットフォームで活用したいと思います。
- 原田
- 次に、尾中さんにお願いします。尾中さんは兵庫県ご出身で、2歳の時に失聴され、それを経て調理製菓専門学校に進みました。講師として手話の普及につとめつつ、カラーコーディネートなど様々な資格を取得され、39歳でカラーサロンのオーナーになられるなど幅広く活躍されています。
- 尾中
- ご紹介ありがとうございます。ビデオを先にご覧ください。2分間です。
(ビデオ放映)
ご覧いただけたでしょうか。「ろうを生きる、難聴を生きる」という番組で、昨年(2018年)の終わり頃に放送されました。「ヒューマンチャレンジ2018(NHKの短編動画でもっとも印象に残ったものを視聴者の投票で決定するプログラム)」でトップ賞をいただきました。最初に映っていたお客様は、店主がろう者ということで驚いています。当初は、私が聞こえないことに気付かれないことや、「手話を使う場所ですか」と問われることがありました。手話に関心を持ってくれる人もいますが、手話講座に通う時間がなかったりします。このカフェで手話が勉強できると、少しずつ手話を覚えたお客様もいらっしゃいます。そういうことは本当に嬉しいことです。
私の生い立ちですが、2歳の時に耳が聞こえなくなりました。その後、ろう学校に通い、寄宿舎で生活しました。高校3年生の時に進路相談がありました。子どもたちの世話が好きでしたし、保育士もいいかなと思っていました。でも進路指導の先生に、「保育士になって、子どもを相手にした時に、例えば泣き声、けがをして大声で泣いた時に気づけないのでは」と言われました。子どもの安全という命に関わるような仕事はそこであきらめざるを得ませんでした。
実は私は食べることも好きで、母のすすめもあり調理師の専門学校に進みました。ろう学校の高等部を卒業した後は、聴こえる人とも共に学びたいという期待もありました。1年間で無事に卒業しました。私はイタリア料理、ワインが好きでしたので、卒業後に就職のためにイタリア料理の店長のところに行きました。でも、ろう者と会うのは初めてらしく、あまり良い顔をされませんでした。「調理場での緊急事態のせいで、すぐに言葉でやりとりすることが必要な場合もあります、手話は通じませんよ」ということであきらめました。
- それでも料理への夢をあきらめず、結婚後も地元ろうあ協会で料理関係のイベントでボランティア活動などをしていた最中、コーヒーハウスCODAを始めることができました。きっかけは家の近くにあった喫茶店のオーナーが体調不良になり、「代わりの人を探している」と主人の父から聞いたことです。何かの縁だと感じて、すぐ私は名乗りをあげましたが、周りの人からはろう者が店をやることはコミュニケーションの点で難しいと心配されました。オーナーは電話でコーヒーの注文を取ることがあったのです。私は手話のできるスタッフと協力すれば乗り越えられると思い、聞こえるスタッフを採用するという条件で受けました。家族も協力すると言ってくれました。みなさんに助けていただき、何とか今日まで12年間、やって来られたと思っています。
- これはお店を外から見た様子です(スライド5)。入口です。夜にはバーをやっています。ろうのお子さんを対象としたケーキ作り教室もやっています。最後のスライドは起業を考えている方の参考になればと思い、私が仕事で大切にしていることについて書いたものです。
- 原田
- 次は、初瀬勇輔さんです。長崎県出身で24歳の時に緑内障により中心視野を失い視覚障害になられました。高校生時代にやっておられた柔道を再開され、派遣会社の特例子会社で働きつつ、視覚障害柔道選手としてもご活躍されています。2011年に経験を活かし、株式会社ユニバーサルスタイルを設立されています。講演セミナー活動もされています。
- 初瀬
- 子どもの頃は医者になりたいと漠然と思っていましたが、高校生の頃、法律を勉強して弱者の助けになりたい、将来、弁護士になりたいという夢に変わりました。柔道は中学から始め、高校3年で長崎の強化選手になれましたが、そこから上にはいけず、心残りのまま引退。その後、大学受験浪人中に右眼の視野をほとんどなくし、大学へ進学して司法試験の勉強を始める頃、さらに左目も悪くしました。緑内障でした。司法試験は文字情報をたくさん使うので、点字を使うとなると自分の夢をあきらめざるをえませんでした。
視覚障害になって1年位経った大学4年生の夏頃、視覚障害者柔道に出会いました。柔道場はフラットで段差がない。柔道は組んで練習するので、目が見える人も見えない人も一緒に出来る、平等だと改めて感じたのです。障害の受容のきっかけになりました。全日本の大会で優勝したりすることもあり、そこからパラリンピックを目指して行きました。
- 柔道でパラリンピック出場を目指していた私は、就職活動は可能と考えていましたが、実際は120社落ちたのです。その多くは書類選考で落ちました。聞いたことのない会社でもどんどん応募してどんどん落ちて、そこでたった1社だけ、採用していただいたのが人材派遣会社の特例子会社でした。
- この会社で障害者として働く間、パラリンピック出場も実現できましたが、もやもやした気持ちでいました。この会社は仕事の量が少なく、夕方5時半にタイムカード前に行列ができるような状態でした。居心地は良かったですが、元々自分は「仕事が与えられないのであれば、自分の仕事は自分でつくろう」と思っていたわけです。2011年の震災の時に、「毎日同じ明日が来る保障はない」ことを思い出して、とうとう起業に飛び出しました。パラリンピックに出たことは障害を受容するきっかけになりましたが、僕は仕事をしてからの方が自分の目が悪いことを笑っていられるようになったと思います。
- 今、僕は2つの会社の代表をやっています。1つは株式会社ユニバーサルスタイル。こちらは2011年創業です。主な業務は障害者の就労のコンサルティングです。ここには、100社以上採用を落ちた僕の経験がある。自分が優秀だとは思わないが、100社も落ちていたことについては、何か隔たりがあると思いました。障害者へ書類の書き方を教える人がいなかったのではと思ったりします。特例子会社で何人もの障害のある人と働いてきた経験もあるので、そういったことを活かす契機になりました。もう1つは、株式会社スタイル・エッジMEDICALです。産業医との連携を図る仕事です。トレーニングジムの経営をしたり、健康経営のアドバイスをしたりしています。障害者が働く時や社員が癌など重病で戻ってきた時に産業医の先生方のアドバイスが要ります。これらの仕事を通して、社員の雇用や人材の多様性が守られて行くだろうということで始めました。
- 「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に生かせ」、パラリンピックの父が残したとされる言葉。情報取得やスピードを求められる時、応えられないこともあります。そこは人に任せる、自分ができることに専念して行く。起業の時は、これは必ず必要になります。残されたこと、自分ができることに注力すること、それを心の支えとしています。
- 最後にお伝えしたいのが、「行動することで自分を変え、世界を変える」ということ。目が悪くなって2年近く、何をすべきか色々考えましたが、考えるだけで発信しなかったので何も変わりませんでした。みなさん、何か思うことがあれば言葉に出して言う、誰かに相談する、話してみる、作って売ってみる。起業を目指すなら、毎週1度ぐらい、そのことに時間を使う。既に、この場にいらっしゃっていること自体が行動そのもの、起業に向けての第一歩だと思います。僕自身、行動し続けます。ぜひ一緒に、行動して行きましょう。
- 原田
- それでは、事前にお伺いしている質問がありますので、まずそれからお尋ねさせていただきます。時間が許せば会場の方の質問を受けたいと思います。最初の質問が、ご自身で起業し、苦労したこと、そして、それをどう乗り越えたのか。また、どんな応援があって助かったか。順番にお願いできますでしょうか。
- ナムチョック
- 難しかったことですが、ビジネスモデルとしてどんなものがいいかを考えるのに苦労しました。タイで車いすの人が何かをやろうとすると、社会奉仕ぐらいかと。チャリティでなくビジネスだと分かってもらうことも難しかったです。人に話をする時も、どんなバックグラウンドを持っているか聞かれます。ITは知っていても、ITビジネスはわからないかもしれない。ウェブサイトを作った経験を話し、これからフレームワークをつくって大きなプロジェクトを作ったら、障害者が持続可能な存在になると話しました。1人でやることは無理で友人の協力でできました。お金がないこともありましたが、チャンスをつかむまで、とにかく前進し続けました。情熱がなければ続かない。でも続けていれば必ずシステムに投資する人も見つかると思っていました。
- 尾中
- 苦労したことですが、たくさんあります。いつもお気に入りの席が空いてないと、お客様が待ちきれずお帰りになってしまう。聞こえないことで、席に関するやりとりをするのが難しい時もあります。そのため回転率は悪く、苦労しています。私はタバコも苦手であり、禁煙の張り紙をしていますが、古いお客様でタバコを吸いたい方もいるので、そこの調整がすごく苦労しています。
- 初瀬
- 起業する時、アドバイスするとしたら、もしお金がないなら、ないなりにできるビジネスを考えるべき。それで障害者雇用の知識、ノウハウを売る仕事にしようと。元手が不要。僕が汗かくだけ。ただし起業してからはみなさんが培ってきた「人間力」「ご縁」「誠実な姿勢」が試されると思います。
- 原田
- 今の初瀬さんのお言葉につながりますが、元手があまり掛からない事業でも、起業準備期間は安定した収入がなくなるので、少なくとも自分の生活だけは何とかしないといけないですよね。起業に必要なお金をお三方は、どうお集めになられたのか、そして現在の事業の採算はどうなっているか教えていただけますでしょうか。
- 初瀬
- 起業した時、最初は資本金が150万円くらいしかありませんでした。生活費で言うと、奥さんと一緒に住んでいたので、とにかく奥さんに飯を食わせてもらおうと思いました。売上が上がらなくても、一緒に住んでいるので何とかなるだろうと。みなさんは半年~1年ぐらいの生活費を確保した上で、チャレンジされると良いと思います。ユニバーサルスタイルについては人材紹介という業態ということもあり利益率は高いです。
- 原田
- よい奥様を持たれてラッキーでしたね。尾中さん、お願いします。
- 尾中
- 前のオーナーが内装、設備をそのまま残してくれましたので、資金は準備しなくて済みました。でも始めてみると採算がとれません。少ないメニューだけでは儲からないので、いろいろ考えました。お客さんから「夜、お酒飲めたら良いな」「カフェCODAで何か学べたら」「ケーキ作り教室、着物のセミナーがあったら参加したい」といった要望がありました。その声を大事に聞き、イベントを開催して、それが売り上げにも貢献して来たと思っています。
- ナムチョック
- 当初、お金もなく、私が生き抜くだけで精一杯でした。最初は自分が一生懸命働き、(1日)数ドルで生きて行く生活でした。最低限のコストだけ使ってきました。例えば、スタッフに払うお金、コンピュータサーバーのお金、外注のお金。それをちゃんと獲得するのに2年かかりました。その間にプラットフォームを立ち上げました。実際のユーザーのことも考えました。実際に使ってくれる方が5万人以上いたら、採算は取れると思いました。そのようにして興味関心を引きつけました。今後も採算性は実際のユーザー数次第ですが、でも準備期間で多くを学べました。
- 原田
- 専門スキルがあり、それを活かしてできる事業なら、スタートアップのお金は何とかなるということですね。さて最後の質問になりますが、「起業された時と、雇われてお給料をもらっている時との違い」と「事業で成功するには、どんなことが大切だと思われるか」についてお教えください。
- 初瀬
- 言いづらいことですが、最初に就職した会社は本当に給料が安く、これぐらいの給料だったらまたどこかでもらえると思いました。その意味で独立のリスクは低いと感じました。サボったら収入はありませんが、自分のやったことがそのまま会社の収入になる。非常にやりがいを感じる部分です。サラリーマンの時より収入は多いですし、どんどん楽しくなってきています。成功の理由でいうと、「ご縁」とか「つながり」を大事にしてきたことがありますし、いただける仕事であれば、最初は何でもやっていました。もちろんそれを誠実にこなして行く。そういった積み重ねが現在の状態につながったと思います。
- 尾中
- 成功のポイントですが、イベントの中での成功例があります。実は、恋活と婚活パーティーをイベントでやっています。2月16日、毎年この日に実施しています。その中で実はこれまで9組のカップルが成立し、3組は結婚されました。私は人が幸せになるための応援をして、良い報告が聞けてとても嬉しいです。
- ナムチョック
- フリーランスになる前ですが、その時には本当に言われたことをやるだけでした。今は自分で経営しているので、成功するためには何をすべきなのか、どんなことをすれば、より良くなるのかを常に考えています。あとは投資ということも考えています。チームとして良くして行くということの大切さもあります。正しい方向性でやっているかということも大切です。今、みんな一生懸命働いています。
- 原田
- このセッションは事業を作り出すというテーマで進めてきました。3人の方はプライベート・カンパニーとして収益事業をされているということで話を伺いました。どのような事業でも、立ち上げて新しいことを興すとなると、お金、あるいは応援者が必要になります。ぜひみなさん、アントレプレナーシップを発揮し、多くの人を巻き込んで、必要なお金を獲得して、夢を叶えてもらいたいと思います。既に起業されているみなさんも、今はうまくやっておられても、これから事業が大きくなったり、大変な時を迎えたり、失敗を乗り越えたりがあるでしょう。みんなで協力して、よりよい社会をつくるために一緒にがんばっていければと思います。
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